2014年08月31日

1世の声 IN BOLIVIA

8月8日は、オキナワ村第1移住地にある
オキナワボリビア歴史資料館に
沖縄県主催の海邦養秀ネットワーク事業に参加されている
皆さんと行ってきましたぶーん

1世の声 IN BOLIVIA



入植50周年を記念して建てられたこちらの資料館に
1世の方方が案内していただきました。
1世の声 IN BOLIVIA

入ると、すぐ目に入ってくるのが
オキナワ村の模型と沖縄の地図!両方あるのがうれしいおすまし
1世の声 IN BOLIVIA

そして、沖縄からボリビアまでの渡航経路。
アフリカ周りの航路だったんですねびっくり!
1世の声 IN BOLIVIA

入植当初に使った貴重な資料や写真が残っていました。
資料


1945年地上戦が行われた沖縄は
その後も大変苦しい状況が続き
それをきいた世界各地のウチナーンチュの間で
救済運動が生まれました。

ボリビアでも、こうした運動が起きその中で
ボリビアへの移住を呼びかけました。
それを知った当時の琉球政府が引き継ぎ
1954年3月、「南米ボリビア農業移 民募集」を制定し、
移民募集を開始しました。

1世の声 IN BOLIVIA


4000人の応募者の中から400人が選ばれ
1954年6月、チサダネ号(ロイヤ ル汽船)が、
那覇港南岸の軍桟橋を発ちました。

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船、列車と約2ヶ月間かかって約280名の第一次移民が到着。

移住地は「うるま移住地」とされ、開拓を開始しましたが
全くの原生林の中にあり、井戸を掘るまでは飲み水にも困るという場所だったそうです。
原因不明の熱病「うるま病」にも悩まされ、15名がなくなりました。

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そのためパロメティリアに転住しましたが、この地も去って
現在のオキナワ村へ。
1969年の第19次移住者まで合計3,231人が
琉球政府の計画移民としてボリビアへわたりましたが
半数以上が隣国ブラジル・アルゼンチンへわたるほど
厳しい生活環境だったそうです。

大変苦労されて今日、オキナワ村があるのだなあと。

もっと詳しく知りたい方はこちらの映像をご覧下さい。
南米ボリビアにあるもうひとつの沖繩
ボリビア移民 開拓の道 'うるま'からの出発



案内してくれた1世の方1名に
沖縄に帰りたくなったことはありますか?
ときいてみました。

「思わなかったよ~、戦争のあとの沖縄は
何もなくてとっても苦しい思いしたからね。
帰っても、あのままだと思っていたよ。わはは」

1世の声 IN BOLIVIA

予想していなかった返答に驚きましたが
当時の沖縄はほんとに何もなかったんだな~ということ、
そして、ジャングルを切り開いていったおじい、おばあたち
笑い飛ばすパワーもあってすごいなあと思いましたニコニコ(笑)

案内していただきありがとうございました!

資料館には、今日から新しく映像が!!
なんと、それを作ったのは沖縄県県費留学生として
2012年度に来ていたアンリさん

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こちらの映像は、アンリさんが卒業制作物として作った作品で
沖縄からボリビアへ渡った移民の歴史を知る事ができます。
イラストもとてもかわいくて、5分程度で学べるとても素晴らしい作品ですハート
ちなみに、音楽もハワイ出身の県費留学生ブランドンさんが手がけていて
県費留学生大活躍です!!

留学から帰国後も、こうして沖縄とオキナワのことを
思ってくれていることを知れて、とても嬉しかったですうわーん
ありがとー、あんり!!YOUTUBEにアップ待ってます。おすまし(笑)



〈歴史を感じる締め太鼓と三線〉
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〈生活の日常品。写真右は豆腐を作るために作っていたもの。ボリビアでも豆腐、豆腐チャンプルーが食べられますニコニコキラキラ 
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Posted by 世界若者ウチナーンチュ連合会 at 18:44│Comments(0)沖縄本部 事務局ボリビア
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